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病院について

就任のごあいさつ

病院長 宮下正

 本年4月に病院長を拝命しました。
 これまで消化器外科・一般外科を専門としてきましたが、今後は、病院全体の運営に、全力投球で臨みます。どうぞよろしくお願いいたします。
 
 4月初めより、静岡市内を皮切りに、静岡県内、名古屋、岐阜、京都、大阪、山梨、東京と、静岡病院に関連があって、医療・人材の面でサポートして頂いている数多くのドクターたちを診療所、病院、大学にお訪ねして、より一層緊密な連携をお願いしてきました。その最大の目的は、絶えることのない人材の流れを維持してくださることに対する感謝と支持のお願いであり、また、最新の医療・円滑な地域医療の実践のためです。
 病院には、最先端の診断・治療機器が必要なことはいうまでもありませんが、最も大切なのは「ひと」です。
 
 「ひと」とは、まず第一にわたしたちの病院に診療をもとめてくださる患者さんの存在です。これなくしては、まったく病院の意義はありません。そもそも、わたしたちの病院は静岡市立、静岡市民のための病院であります。柳沼前々病院長時代に策定し、いまも引き継がれる基本理念に、「開かれた病院として、市民に温かく、質の高い医療を提供し」と謳い、また島本前病院長は、端的に「静岡がほしがる病院」ということばで、病院が存在するための必要条件を示されました。わたしたちは、静岡という地域に立脚し、静岡市民のために存在することをあらためて宣言します。
 
 「ひと」とは、また病院に働く、すべての職種の人々のことでもあります。昨今、医療職の人材確保は、楽観を許しません。わずかな欠員が、徐々に病院全体に影響を及ぼし、病院が機能不全に陥るケースは珍しくありません。わたしたちは、あらゆるチャンネルを通じて、必要なスタッフが獲得できるよう、また、人事の流れが滞留せず、若い世代と経験ある世代とが、円滑に循環しながら成長していけるよう、全力を尽くします。それは、単に言葉だけではなく、汗と、さらには経済的な支えを必要とするものです。市民の皆様にも多大なご協力とご理解をお願いする所以です。
 
 さて、わたしたちの病院は、静岡における「二つの、はじまりの病院」をルーツとしています。幕末、オランダ人医師ポンペの熱意によって成った長崎養生所(わが国初の近代西洋医学教育病院)に学んだ18歳の青年、林 紀(号は研海)は、江戸幕府最初の留学生として海路カリプス号でオランダに旅立ち、かの地で数年の医学修業を経て、幕府崩壊の報に接し、帰国の途につきます。おりしも駿府藩では、明治2年2月21日静岡におけるはじまりの病院、駿府病院(その後、改称して静岡病院)が開設されます。新政府への出仕を潔しとしなかった研海は、その駿府病院の病院頭として、それまで長崎・オランダで学んだすべてのことを実践しようとするのです。ときに研海25歳でありました。目標は、「平等な地域医療の実践と医学教育」。開院と同時に、公衆衛生事業としての種痘にも着手しました。
 残念ながら、研海は明治4年に静岡を去り、静岡病院も廃藩置県の影響で明治5年8月閉鎖を余儀なくされましたが、病院の再開を望む人々の声に応えて、開設されたのが、明治9年10月29日に屋形町で開院した公立静岡病院であり、現在の静岡病院に直接つながる二つ目のはじまりの病院であります。
 
 今日、静岡市立静岡病院は、日本医療機能評価機構認定病院、地域医療支援病院、地域がん診療連携拠点病院、そして卒後臨床研修評価機構認定病院等として、先人の歩んだ道を顧みながら、現代の病院として歩み続けています。ハイブリッド手術室、内視鏡下手術用ロボット(ダ・ヴィンチ)など高度な医療機器の整備とともに、“病院は「ひと」こそ すべて”を合言葉に、一同努力を続けてまいります。ご支援をよろしくお願いします。

 

平成26年4月1日 病院長 宮下 正
 
 
 
 

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