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わたしたちの「静岡病院物語」
〜2月21日は市立静岡病院創立記念日〜

 病院からほど近い内堀沿いの散歩道に、「静岡学問所之碑」と書かれた石碑があります。(図1)
 そのすぐそばに説明板があって、明治元年に静岡藩によって創設された府中学問所、翌二年改称して静岡学問所と呼ばれた藩校がここにあったことが記されています。「静岡学問所」(樋口雄彦著、2010年静岡新聞社刊)をひもときますと、明治5年廃止されるまでのわずかな間ですが、身分を問うことなく広く入学を許可し、江戸から大挙移住した一流の国学、漢学、洋学者によって講義がなされ、またお雇い米国人Edward Warren Clark(“少年よ大志を抱け”で有名な札幌農学校のWilliam Smith Clarkとは別人ですので、「もう一人のクラーク先生」というタイトルでテレビ静岡で放送されたことがあります)によって、近代的な実験室を駆使した理化学の講義がおこなわれ、その当時、日本の最高学府であったとされています。当時撮影された貴重な静岡学問所の写真(図2)をよく見ますと、その大屋根には、豆粒ほどの多くの人の姿が写されており、往時生徒数が1000人を超えたという学問所の様子が文字通り眼前に浮かぶ気がします。

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図1 静岡学問所の碑図2 静岡学問所と生徒たち

 学問所開設の翌年、明治2年2月21日、場所も学問所にほど近い四つ足御門外、今の日赤あたりにわたしたち市立静岡病院の前身である、藩立駿府病院(その後改称して静岡病院)が開院しました。院長は、林 研海(はやし けんかい)、オランダで医学修業を積んで帰国したばかりの若干25歳の青年医師でありました。学問所同様、身分性別住所を問わず、平等に医学教育が受けられること(つまり病院であると同時に医学校でもあったのです)、誰でも病気で困っている患者には広く平等に治療を行い、病院に来ることができない患者には往診もするということが病院開設の際の布告書に書かれています。
 かつて林研海は、17歳のとき、あたらしい西洋医学を学ぶために、江戸から長崎へ遊学しました。江戸時代、長崎には海外に向けて開かれた唯一の交易の場所として、出島がありました。研海は、オランダ海軍軍医ポンペの尽力で成った長崎医学所と長崎養生所(日本で初めての西洋医学を教える医学校とその附属病院、いまでも大学医学部と附属病院とは、かならずセットで存在しています、ちなみに長崎医学所は長崎大学医学部のはじまりとされています)で約1年間学びました。
 翌年、オランダに帰国することになったポンペ先生の後を追うように、ちょうど江戸幕府が派遣する初めてのオランダ留学生15名(図3、榎本武揚、赤松則良、津田真道(まみち)、西 周(あまね)などそうそうたるメンバーです)の一員となって、乗船した帆船の難破事故などに遭いながらも、約300日かけてオランダに到着、5年間医学修業に励みました。ちなみに、留学生仲間の津田真道(真一郎)は、帰国後、向山黄村(むこうやま こうそん)とならんで静岡学問所の頭(校長)に就任しました。文系、医系と分野こそ異なれ、苦労を共にした留学生仲間の二人が、ふたたび、同時期に、ここ静岡の地で、それぞれ新時代の指導者として仕事をすることになったわけです。すなわち、明治初年、このお堀界隈は、静岡学問所、静岡病院が並び立ち、オランダ帰りの当代きっての洋学者、医学者がそのトップを務める最新の学問文化の地でありました。

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図3 幕末オランダ留学生たち
 後列左から2番目が林研海、後列右端が津田真道(真一郎)
図4 初代静岡病院長 林研海
 後年の陸軍軍医総監時代の写真か

 その後の明治政府による廃藩置県、学制の施行など中央集権化の流れの中で、多くの学者は東京に去り、静岡学問所、静岡病院も廃止のやむなきにいたるのですが、市民の要請にこたえて、明治9年公立静岡病院が開院し、現在の市立静岡病院につながっています。
 今年は家康公没後400周年にあたるということで、さまざまな記念行事が予定されているそうです。それでは徳川250年が静岡のために残した、しかも現代まで続く財産はなんでありましょうか。明治の時代になって、徳川家が、歴史の表舞台からひっそりと退場しようとするその時に、静岡の次代のためにと考えて渾身の思いで設立したもの、それが、ここにご紹介した静岡学問所、静岡病院です。いつの時代でも社会の礎となるのは教育施設と医療施設でありますが、歴史の流れにほんろうされて、ずっと存続できるものは数多くありません。
 幸いにして、わたしたちは、伝統ある静岡病院という名のもとに、140年の長きにわたって、静岡市の基幹病院として歩み続けて今日に至りました。きたる2月21日は、藩立駿府病院開設の日、わたしたちは、この日を静岡病院の創立記念日として定めることとしました。
 これからも静岡病院が第一線の臨床病院であり続けることはもちろんですが、林 研海ひきいる藩立駿府病院開設時の理念を思い起こし、現代の静岡病院も、平成版静岡市民のための“医学校”として、広く医学・医療を語るオープン方式の学校でもありたいと、わたしたちは考えました。そして、定期開催の公開講座静岡市民「からだ」の学校を開校しました。
 現代社会の要請に応える最新・最善・最適の医療の提供、それを実現するためのたゆまぬ研修・研究、そして医学医療に関する知識や情報を広く地域の人々と共有するための公開講座などを通じて、静岡市になくてはならない、社会的共通資本としての病院づくりによりいっそう努力していきます。(平成27年2月21日)
 
静岡市立静岡病院 病院長 宮下 正